道具としての銀行

道具としての銀行―フェアな金融機関とクレバーな個人の経済学道具としての銀行―フェアな金融機関とクレバーな個人の経済学
末永 徹


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ネットバンクについて知りたかったので読んでみました。ソロモン・ブラザーズでトレーダーとして活躍された著者が、金融史を振り返りながら銀行の役割や今後のあり方について説いた一冊。

銀行誕生の背景などの基礎の部分から分かりやすく解説してあったので「銀行を知る」という意味ではとても勉強になりました。

これまでは厳しい規制の下で銀行の差別化が難しかったために、個人が銀行を主体的に選ぶことはあまりなかった。しかし、規制が緩和され銀行が多様化していけば、これからは個人が銀行のサービスなどを目安にして銀行を主体的に選ぶ時代がやってくる。

そのときに、リアルな店舗を持たないネットバンクは既存の銀行に比べてコスト面で大分有利だし、特徴を出していきやすい、という著者の主張が印象に残りました。(確かに、ソニー銀行の管理画面なんかを見るととても使いやすそう。)

著者の言うとおり「金融のあり方は社会全体のあり方を決める」とすれば、今後ネットバンクが社会の流れを変えてしまうようなことがあっても不思議じゃない。ネットバンクはWeb2.0ならぬ銀行2.0となれるんでしょうか。今後もその動向に注目していきたいと思います。

勉強になった文

80年代までの日本では、ほとんどすべての有力な企業が新規採用の対象をもっぱら新卒に限っていたために、中途入社が著しく困難であった。企業に解雇権がないことは、社員に転職の自由がないことと裏腹なのである。

年功序列の賃金体系においてサラリーマンは、若年時には提供した労務に対して過少な報酬を甘受する代わりに、中高年時になってからは提供した労務に対して過大な報酬を得る。(これが結果的に)若いうちの給料を会社がひとまず預かっておいて、何かと物入りな時期になってから渡してあげようといった親心のように作用してきた。

富が社会全体に分散しているからこそ、それが預金という形で銀行に集められて企業に貸し出されるコマーシャル・バンキングが成立する。それに対して19世紀のヨーロッパでは、富がごく一部の富裕層に集中していたから、マーチャント・バンキングが主流となった。

すべての人がどんな天災にも耐えられる強固な家に住むよりも、天災の被害に逢った人を事後的に救済したほうが、社会全体にとっての費用は小さくすむ。

投資信託が販売されるのは往々にしてそのテーマの人気がピークを打つ時で、買った人の多くは高値掴みで損をしてしまうことが多い。

テーマ : 経済全般
ジャンル : 政治・経済

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