インターネットは民主主義の敵か?

インターネットは民主主義の敵かインターネットは民主主義の敵か
キャス サンスティーン Cass Sunstein 石川 幸憲


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法学者である著者サンスティーンが、高度情報化社会が民主主義に及ぼす影響を自ら問い、さらにそこから発展して、言論の自由や民主主義のあり方について述べた一冊。ITの技術的なことや商業的なことにはほとんど触れず、一重に「法制度および政治思想の面から見たインターネット」について書かれてる珍しい本だと思う。

最初に本書のキーフレーズを上げとくと、インターネット・民主主義・自由(言論)・市民・集団分極化・共通体験・個人の選択・フィルタリング・マスメディア・・・こんなところだろう。これらのキーワードを拾いつつ本書を要約してみる。

民主主義の前提条件と、マスメディアの役割

民主主義は自然な状態としてそこに存在するものではなく、われわれに継続的な義務を要する。具体的には「広範な共通体験」と「多様な話題や考え方への思いがけない接触」を必要とするのだ。民主制度がよく機能し、市民が自由を維持しようとしているならば、これらのことは(市民が意識しているいないに関わらず)目に見えるかたちで行われているのである。
これまでマスメディアは、我々が望んでいるいないに関わらず一方的に情報提供してくれるという意味で、我々に「共通体験」と「個人の選好によらない思いがけない接触」を与えてきてくれた。つまり、マスメディアは民主主義が機能するために大きな役割を担っていたことになる。

フィルタリングされる情報と、集団分極化

しかし、最近のインターネットの急速な普及により個人の生活におけるマスメディアの重要性が低下している。個人は自分の好きなように情報をカスタマにイズして受け取ることが出来るし、情報は個人の選好によってフィルタリングされた「自分の見たいもの」しか届かないような仕組みが出来つつある。ネット技術の進歩がもたらす便利なこのような仕組みは、一見、バラ色の世界を生み出すように論じられているが、実際は危惧されなければならない事態なのである。
なぜなら、個人が「自分の見たいもの」しか見ないような社会では、集団は分極化され、サイバーカスケードや過激主義といったものが生じてしまうからである。実際に数多くの調査がインターネット上の隔離された環境で、社会分裂と過激主義といった現象が発生することを明示している。つまり、個人が「自分の見たいもの」しか見ないような社会は、民主主義が機能するための前提条件である「広範な共通体験」と「多様な話題や考え方への思いがけない接触」の機会が減ってしまっているという意味において大変辺危惧しなければならない状況である。

カスケードを生み出す隔離型討議は悪なのか?

その一方で、集団分極化やカスケードは一概に悪とは言えない複雑な一面を持っている。なぜなら、集団分極化やカスケードは社会的に良い面をもたらす場合もあるからだ。その理由のひとつは、違うグループがお互いに議論しあえばそれが分極化へ繋がったしても、結果的に社会としてはより広範な意見を持つことになるからだ。多様性が十分でなくても、社会全体から見れば考え方の幅が広まり豊かになることもある。このような点から考えれば、隔離型討議が社会では極めて重要であることは明白である。
たとえば、少数のグループメンバーが他の大人数のグループが牛耳る大会議に出席することを考えてみよう。この場合、少数の方のグループメンバーは会議中に寡黙になってしまう傾向がある。「沈黙のらせん」という概念にもあるように、このような場合、少数派のグループは沈黙してしまい、やがて時間と共に少数派が持つ意見は跡形も無く消えてしまうことになる。この見解では、隔離型討議の良い面は、一般の討議では見えなかったり聞こえてこなかったり、あるいは押しつぶされてしまうような意見が確立されることにある。

言論の自由および民主主義の重要性

言論の自由は贅沢品であり、貧困で苦しむような国にはそれよりも先に物質的な豊かさや経済成長を優先した方が良いという意見がある。だが、これらの意見は現実には愚問である。それは経済学者アマルティア・センの驚くべき発見で証明することが出来る。アマルティア・センによると「世界史のなかで民主的な報道機関と自由な選挙制度をもつ体制に飢饉は起こっていない」というのだから。つまり、これは民主制が大きな社会問題を回避する状況を作り出すメタファーと考えるべきなのである。このような見地からも、言論の自由および民主主義は重要なことなのである。

考察

ようするに著者が言いたかったことは「消費者主権によってパーソナライズされていくインターネットの未来は決してユートピア的なものではなく、民主主義にとって大きなリスクになりえるのだ」ということだと思う。(著者は決してインターネットについて否定的な見方をしているわけではないし、その素晴らしい効用もきちんと書かれている。今回は極端に著者の主張をまとめたので一方的な意見のようなってしまっているかもしれないが、決してそんなことはないのであしからず。) 最後に、著者によって繰り返し取り上げられている哲学者ジョン・デューイの言葉を抜粋しておく。
法的な拘束が排除されたからといって、思想やその伝達が自由になるという思い込みは不条理である。それが一般に通用すれば、社会の知識レベルが幼児期のままであることを意味する。なぜならば、概念をもつことの必要性がはっきりと認識されなくなるからだ。概念は問いかけのツールになるし、また実際に使われることでテストされ、修正され、そして成長する。放任されるだけでは、人間やこころは解放されなかった。
そのほかにも、アメリカ憲法の想起者の一人ベンジャミン・フランクリンに、国民が「何をわれわれに与えたのですか?」と質問した際、フランクリンが「それは共和制だよ。あなた方が維持できればの話だがね―。」と答えたといったエピソードはとても興味深かったです。民主主義というものは、そこにただ存在しているのではなくて、デューイやフランクリンが言うように、僕たちが維持していかなければならないということなんでしょうね。社会のあり方そのものを問う本書は大変面白かったです。
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      自分だけに与えられた、自分でしか歩めない道を歩んでいきたいと思う。
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