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masato
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「無知による機会損失は計り知れない。」

機会損失とは、仮にある行動を取っていたら生まれたであろう利益を享受できないという損失のことを言う。

一生という限られた時間の中で、どうせなら最高の人生を送ってみたいじゃん。みんなもそう思うでしょ??

価値観は人それぞれだと思うけど、俺は、自分だけに与えられた、自分でしか歩めない道を歩んでいきたいと思う。
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 インターネットは民主主義の敵か?
インターネットは民主主義の敵かインターネットは民主主義の敵か
キャス サンスティーン Cass Sunstein 石川 幸憲


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法学者である著者サンスティーンが、高度情報化社会が民主主義に及ぼす影響を自ら問い、さらにそこから発展して、言論の自由や民主主義のあり方について述べた一冊。ITの技術的なことや商業的なことにはほとんど触れず、一重に「法制度および政治思想の面から見たインターネット」について書かれてる珍しい本だと思う。

最初に本書のキーフレーズを上げとくと、インターネット・民主主義・自由(言論)・市民・集団分極化・共通体験・個人の選択・フィルタリング・マスメディア・・・こんなところだろう。これらのキーワードを拾いつつ本書を要約してみる。

民主主義の前提条件と、マスメディアの役割

民主主義は自然な状態としてそこに存在するものではなく、われわれに継続的な義務を要する。具体的には「広範な共通体験」と「多様な話題や考え方への思いがけない接触」を必要とするのだ。民主制度がよく機能し、市民が自由を維持しようとしているならば、これらのことは(市民が意識しているいないに関わらず)目に見えるかたちで行われているのである。
これまでマスメディアは、我々が望んでいるいないに関わらず一方的に情報提供してくれるという意味で、我々に「共通体験」と「個人の選好によらない思いがけない接触」を与えてきてくれた。つまり、マスメディアは民主主義が機能するために大きな役割を担っていたことになる。

フィルタリングされる情報と、集団分極化

しかし、最近のインターネットの急速な普及により個人の生活におけるマスメディアの重要性が低下している。個人は自分の好きなように情報をカスタマにイズして受け取ることが出来るし、情報は個人の選好によってフィルタリングされた「自分の見たいもの」しか届かないような仕組みが出来つつある。ネット技術の進歩がもたらす便利なこのような仕組みは、一見、バラ色の世界を生み出すように論じられているが、実際は危惧されなければならない事態なのである。
なぜなら、個人が「自分の見たいもの」しか見ないような社会では、集団は分極化され、サイバーカスケードや過激主義といったものが生じてしまうからである。実際に数多くの調査がインターネット上の隔離された環境で、社会分裂と過激主義といった現象が発生することを明示している。つまり、個人が「自分の見たいもの」しか見ないような社会は、民主主義が機能するための前提条件である「広範な共通体験」と「多様な話題や考え方への思いがけない接触」の機会が減ってしまっているという意味において大変辺危惧しなければならない状況である。

カスケードを生み出す隔離型討議は悪なのか?

その一方で、集団分極化やカスケードは一概に悪とは言えない複雑な一面を持っている。なぜなら、集団分極化やカスケードは社会的に良い面をもたらす場合もあるからだ。その理由のひとつは、違うグループがお互いに議論しあえばそれが分極化へ繋がったしても、結果的に社会としてはより広範な意見を持つことになるからだ。多様性が十分でなくても、社会全体から見れば考え方の幅が広まり豊かになることもある。このような点から考えれば、隔離型討議が社会では極めて重要であることは明白である。
たとえば、少数のグループメンバーが他の大人数のグループが牛耳る大会議に出席することを考えてみよう。この場合、少数の方のグループメンバーは会議中に寡黙になってしまう傾向がある。「沈黙のらせん」という概念にもあるように、このような場合、少数派のグループは沈黙してしまい、やがて時間と共に少数派が持つ意見は跡形も無く消えてしまうことになる。この見解では、隔離型討議の良い面は、一般の討議では見えなかったり聞こえてこなかったり、あるいは押しつぶされてしまうような意見が確立されることにある。

言論の自由および民主主義の重要性

言論の自由は贅沢品であり、貧困で苦しむような国にはそれよりも先に物質的な豊かさや経済成長を優先した方が良いという意見がある。だが、これらの意見は現実には愚問である。それは経済学者アマルティア・センの驚くべき発見で証明することが出来る。アマルティア・センによると「世界史のなかで民主的な報道機関と自由な選挙制度をもつ体制に飢饉は起こっていない」というのだから。つまり、これは民主制が大きな社会問題を回避する状況を作り出すメタファーと考えるべきなのである。このような見地からも、言論の自由および民主主義は重要なことなのである。

考察

ようするに著者が言いたかったことは「消費者主権によってパーソナライズされていくインターネットの未来は決してユートピア的なものではなく、民主主義にとって大きなリスクになりえるのだ」ということだと思う。(著者は決してインターネットについて否定的な見方をしているわけではないし、その素晴らしい効用もきちんと書かれている。今回は極端に著者の主張をまとめたので一方的な意見のようなってしまっているかもしれないが、決してそんなことはないのであしからず。) 最後に、著者によって繰り返し取り上げられている哲学者ジョン・デューイの言葉を抜粋しておく。
法的な拘束が排除されたからといって、思想やその伝達が自由になるという思い込みは不条理である。それが一般に通用すれば、社会の知識レベルが幼児期のままであることを意味する。なぜならば、概念をもつことの必要性がはっきりと認識されなくなるからだ。概念は問いかけのツールになるし、また実際に使われることでテストされ、修正され、そして成長する。放任されるだけでは、人間やこころは解放されなかった。
そのほかにも、アメリカ憲法の想起者の一人ベンジャミン・フランクリンに、国民が「何をわれわれに与えたのですか?」と質問した際、フランクリンが「それは共和制だよ。あなた方が維持できればの話だがね―。」と答えたといったエピソードはとても興味深かったです。民主主義というものは、そこにただ存在しているのではなくて、デューイやフランクリンが言うように、僕たちが維持していかなければならないということなんでしょうね。社会のあり方そのものを問う本書は大変面白かったです。

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(2006/12/31(日) 12:02)

 稼ぐが勝ち
稼ぐが勝ち稼ぐが勝ち
堀江 貴文


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時代の風雲児ホリエモンの著書。

読んでみてびっくり。トンデモ本かと思いきや、社会に対する鋭い考察と若者への熱いメッセージなど中身の詰まった良本だったと思う。

本書が出版されたのが2004年08月。まさに破竹の勢いでビジネス界を席巻していた堀江氏が、日本の社会に何を見たのか、そして自分に何が出来ると思ったのか―、これが本書のテーマである。独特な堀江氏のストレートな語り口が印象的だった。

確かに、細かく学術的に突っ込めば恥ずかしい記述がいくつか見られるが、堀江氏が本当に言いたかったことは、拝金主義につながるお金についての考え方とか、M&Aや株価至上主義による偏った事業展開がどうとか、バイオがどうとかそういった話ではないはずである。あの若さで日本社会の中枢にまで上り詰めた堀江氏がホントに訴えたかったことは「エスタブリッシュメントが既得権を必死に守り、経済を停滞させている日本の悪しき現状」だと思う。

その辺に関しての堀江氏の主張が顕著に現れていると思われる文章を抜粋してみる。

数年間、僕に雑巾がけをさせるつもりなのかもしれませんが、させたところで誰も得をしないし、なにも生まれない。
(中略)
この国を悪くしている旧世代の「壁」がはっきりと見えたような気がします。やはり、僕たち世代やもっと若い世代がチャレンジしていかなければだめなのです。向こうみずでも、いけいけドンドンでもいい。 失敗しても一番下は「ゼロ」です。いまの自分に戻るだけ。上は100億、1000億きりがありません。

(もちろん、それが自分の利益のためだったとはいえ、)硬直した社会のヒエラルキーに挑む挑戦者という役割を自ら演じ、僕らに「壁」の存在を教えてくれた堀江氏。良くも悪くも、2006年は彼のおかげで色々考えさせられた1年だったんじゃないのかなぁと思う。

堀江氏とライブドアの件に関しては、良い面と悪い面が混在しているので、まずはそのことを認識し、整理することが大切だと思う。一概に「ホリエモンはこうだからこうだ!」と決めつけることは良くない。

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(2006/12/30(土) 11:11)

 フーコー
フーコーフーコー
C. ホロックス Chris Horrocks Zoran Jevtic


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哲学について学びたかったのでフーコー(Michel Foucault, 1926年10月15日 - 1984年6月25日)を読んでみた。(とりあえず難しすぎてビックリ!書かれていることの10%も理解出来なかったように思う。)

それでも印象に残ったのは知識や真理そのものに対するフーコーの考え方だ。フーコーはそれらの存在の根本を疑うことから始めるのだ。かつてヘーゲル(Hegel、1770年 - 1831年)は、現実的なものが理性的であり、真理はそこにあると考えた。彼は理性または精神が究極的な現実であると信じ、哲学により非理性と偏った知識の矛盾から自分たちを解放することが可能になると主張した。

それに対してフーコーは"理性そのもの"が歴史へ及ぼす影響はどんなものだったのか、その限界はどこにあるのかを検討しようとした。フーコーに言わせれば"理性そのもの"が監視された権力の内側にあるものだとされ、信用できるものではないということらしい。

フーコーを読んで思ったことは(フーコーの主張と重なるが)、あらゆるものの影響を排除して客観的に物事を認識するということは不可能なんじゃないのか―。ということ。

例えば、以前読んだ本に「江戸時代においては儒教が武士の心の内面を支配していた」という文面があった。「支配していた」というのは言い過ぎかもしれないけど、確かに人間の理性というものはその時代の権力だったり思想といったものに大きな影響を受けるものなんだろう。それが本当だとするならば、僕たちはどんな時代に生きても、誰かにとって都合のいいように教育され、無意識のうちに偏狭な思考・価値観にさせられている、と考えることが出来る。

それが良いか悪いかの話は別にして(←これも重要な問題だと思うけど)、ただ、そういった呪縛から解き放たれて本当の意味で自由になったとしても、幸せになれるかって言ったらそうじゃないから問題は更に複雑になる・・・ort。

「ある種の自由は直接的に抑圧された社会と同じくらい人を拘束するものだ」というフーコーの言葉が心に残った。

まぁ、意外と大事なことは「あらゆる物事を深刻に考えすぎないようにすること―。」だったりするんだろうな。(と、元も子もないオチになっていまいました。すみません。)

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(2006/12/28(木) 12:50)

 富の未来(下)
富の未来 下巻富の未来 下巻
A. トフラー H. トフラー 山岡 洋一


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前回の上巻に引き続き、今度は下巻。

下巻で考えさせられたのは「先進国の教育制度」ついてだ。イギリスにしろアメリカにしろ日本にしろ多くの先進国の教育制度はうまくいっていない。(もちろんイギリスやらアメリカにおいては日本よりもだいぶ前からそれは認識されていて、ずいぶん議論もされてきているようだけど。)

トフラーによれば教育制度がうまくいっていない理由は、簡単にまとめると「今の教育制度はそれがつくられ時代に最適化されており、今の時代には即していないからだ」ということらしい。

詳しく言うと「現在まで続いている教育制度は、工業時代の大量生産経済を築くために画一的な教育で若い世代をマス化することが決定的な意味をもっていた。工業時代には無敵の連合の力で工場形の学校制度が維持されてきた。大衆教育制度が、大量生産、マス・メディア、大衆文化、大衆スポーツ、大衆娯楽、大衆政治という工業時代の性格にぴったりあっていたのである」という。

つまり、教育制度というものは、トフラーが主張した第三の波(非マス化、多様化、分散化、適正規模、分権化、生産者=消費者の復活、への流れ)に取り残されたものであり、いわば第二の波の残骸であるというのだ。(参照)

この辺の話は感覚的にも近いものがあってなるほどなぁと納得。トフラーと同じく僕も、昔と違って価値観なんかが多様化した今日において、画一的な学校制度は合わないと思う。ここからは個人的な考えなんだけど、TVやら議会やらで議論(揉めてるだけ?)されているように、人それぞれ様々な考えの教育方法があるなら、教育機関にそれらを柔軟に取り込めるようにすればいい。

もっと言えば、小学校・中学校・高校のカリキュラムや校風に多様性を持たせればいい。そして、生徒や親はその中から好きな学校を選べるようにする。そうなれば結果的に民意が学校の教育をつくることになる。

民意がそのまま学校に反映されるような仕組みを作れば、それがホントの民主主義なんだろうし、「みんなの意見が案外正しい」とすれば、知識者数人が話し合って決めた結論よりも結果的には正しいものが導き出せるんじゃないかな。

(余談)
くしくも先日、TIME誌が選ぶ‘Person Of The Year’に’You(あなた)’が選ばれた。Wikipedia、YouTube、Flickr、Myspace、といったCGM(=Consumer Generated Media)の爆発的な普及があったことが理由だという。(参照)

トフラーは「生産消費者」というものが非金銭経済に重要な役割を担うと主張する。CGMとこの生産消費者を絡めて考えるととても面白い。TIME誌が選出した’You’はもちろんこの「生産消費者」の一部分でもあるからだ。そういった意味でこのことを大分前から予見していたトフラーはホントに凄い・・・。

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(2006/12/25(月) 23:58)

 富の未来(上)
富の未来 上巻富の未来 上巻
A. トフラー H. トフラー 山岡 洋一


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トフラーの新刊を読む。トフラーが多種多様のテーマについて独自の見解を語っている。まさに「トフラー新聞の社説を1年分まとめてみました」といった内容。

まずは全体の要約はおおざっぱに。

第一に、世界では現在、富を生み出す方法の歴史的な変化、すなわち「富の革命」が起こっている。これは新しい生活様式、新しい文明の誕生という大きな動きの一部であり、いまのところアメリカがこの動きの最先端に位置している。

第二に、長い歴史をかけて研究または討論されてきた経済の「基礎的条件」の深部に今、大きな変化が起きている。その変化の中心にあるものは、時間、空間、知識という3つの要素である。

第三に、金銭経済は今日において富の体制の一部でしかなくなっている。ほとんど注目されていないが、金銭経済とは対極に存在する非金銭経済の「生産消費活動」と呼ぶものの価値が近年になって増大している。
(要約終わり)

上巻で考えさせられたのは「非金銭経済」と「非競合財である知識」の話だ。

どちらも「従来の経済学ではモデル化、数式化することが出来ない。そのためにこれらに対する経済学者の関心は低く、研究分野の中心からは外れている。しかし、(数値としては表面には出てこないけれど)それらの影響力は無視できないほどに拡大している」という点で共通点がある。

国の豊かさをはかる指標はいくつかあるけれど、そういった指標は国民の非金銭活動の結果生まれる「何か」を考慮していない。つまり、ボランティアとまではいかないまでも、無料で使える公園だったりフリーソフトといったものは、従来の経済学の範疇にはない。けれど、数値としては把握できないその「何か」って豊かさを知る上ではとっても大切なものなんじゃないのかと思う。

だいたい、経済成長率であったりGDPといった指標はもう時代遅れなんじゃないのかなぁと。さらに言えば、格差の問題にしても、先進国の個人の豊かさを給与所得でのみはかろうとするのにも問題がある。

"従来の基準"から一度離れてみて、「本当に大切なものは何か」を考え直す時期に来ているんじゃないかなと思った。

下巻につづく…。

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(2006/12/22(金) 06:05)

 35歳までに必ずやるべきこと
35歳までに必ずやるべきこと―運をつかむ人になれ35歳までに必ずやるべきこと―運をつかむ人になれ
重茂 達


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ワーキングプアやらワンコールワーカー・・・。こういった言葉を毎日嫌というほど聞いていると、「僕らの人生にとって"仕事"とは一体何なんだろ?」と変な風に考えてしまう。これから就職しようとしているのにこれじゃダメだ!と思っていた矢先に古本屋で目に付いたのがこの本でした。

中身はいたって普通のビジネスマン向けの自己啓発本。数々の会社を渡り歩き失敗と成功を経験してきた著者が「前向きに行動して運をつかめ」と説く一冊。 どこかで聞いたような話ばっかりでしたが、それでも印象に残った話が2つほどあったので取り上げて見ます。

会社はお金のもらえる道場だ

会社というのは「授業料を払わずにお金を貰いながら、さらにより多くのお金を貰うための勉強が出来るところ」と考えると実に面白い。せっかくの会社勤めなんだからそれを活かしたらいい。つまり会社とは、スキル的にも人間的にも成長するための、道場だと思えばいいのです。

短所こそプラスの要因になる

欠点を直すと長所が消えてしまうこともあります。なぜかというと、欠点と長所は表裏の関係にあるからです。でしゃばりが欠点だといって直したら積極性がなくなってしまった、ということはしばしばあるのです。

出来るビジネスマンの話を聞いて少しやる気が出たかな。とりあえず自己啓発の本はあんまり面白くないので今後は読むのはやめようと思いました。

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(2006/12/21(木) 01:40)

 ぼくの靴音
ぼくの靴音ぼくの靴音
堂本 剛


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この本に出合ったきっかけはオリコンの『自分の価値観を変えた本ランキング』。ランキングに登場する本で知らない本は3位にランクインしている本書だけだったのでさっそく読んでみました。

堂本剛の純粋で素直で(か弱い?)人柄が溢れ出してくるような本でした。仕事・恋愛・友人関係とさまざまなことに悩み葛藤してきた著者の心の声は、ストレートに僕らの胸に響いてきます。

「人の弱さが人を優しくさせ、愛を生む。」

この言葉が印象に残りました。著者のようにネガティブになったり悩んだり自己嫌悪におちいったりすることは自然なことだと思うし、そうやって悩みぬくことで自分を理解できるのかもしれない。

そして著者の、最後は愛が地球を救うんだよ的?な考えにはとっても共感できます。実際最後に大切なものはそういったものなんだろう。けれど共感できないところもあって、著者のように「自分はネガティブで弱い生き物だ」みたいにあきらめるのではなく(もちろん素直になることは大事だと思うけれど)、

自分はその逆で「常に人に優しくなれるように強くなりたい」と思った。
よし決めた、これを2007年度の目標にしよ!メモメモ・・・。

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(2006/12/20(水) 06:52)

 貝と羊の中国人
貝と羊の中国人貝と羊の中国人
加藤 徹


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中国人とはなんぞや!?

本書は、中国および中国人というものを歴史・漢字・思想・社会構造などあらゆる角度から解明しようとしたものである。

本書のテーマにもなっている中国人の二面性―。それは中国人が常に使い分けるホンネとタテマエに見出すことができる。そのことを認識しなければ中国を見誤ることになると著者は主張する。更に著者は、現代の中国を象徴するホンネとタテマエ、すなわち中国人の二面性を理解するのに、いまから三千年前の「貝」と「羊」の文化の違いを把握することが有効であるという。

以下、本書の題名にも使われている「貝」と「羊」という言葉に焦点を当てて本書をまとめてみました。

中国人の祖形は、いまから三千年前、「殷(イン)」と「周」という二つの民族集団がぶつかりあってできた。仮に、殷人的な気質を「貝の文化」、周人的な気質を「羊の文化」と呼ぶ。

「貝の文化」の殷人の本拠地は、豊かな東方の地であり、そこで貨幣として使われていたのは子安貝であった。そこから有形の物財にかかわる漢字、すなわち財・費・貢・貨・貧・貴・貸・貰・買・資・賃・賭・賽などが生まれた。

一方、「羊の文化」の周人は、中国西北部の遊牧民と関係が濃く、こちらは羊と縁が深かった。遊牧民の血をひく周人は唯一至高の神である天を信じた。これはイデオロギー的な神であり、殷人のような物質的な豊かさよりも、善や義といった無形の善行を好んだ。そこから義・美・善・祥・養・儀・・・といった漢字が生まれた。

話を現代に戻すと、現代中国人はホンネとしての「貝の文化」と、タテマエとしての「羊の文化」の両方を受け継いでいるのだ。ここが中国人の二面性の発端になっている。華僑の商才に象徴される中国人の現実主義は「貝」である。儒教や共産主義に象徴される中国人の熱烈なイデオロギー性は「羊」である。

印象に残った著者の主張を抜粋してみる。

「貝と羊」でいえば、中国の商品経済は「貝」である。庶民のホンネを反映している。もし、日本人が中国社会の表層だけを見て、感情的な「嫌中」に走るならば、心のなかで日本に好意を寄せる中国人までをも、「敵」に回してしまう可能性がある。
また、テレビに出てくる中国政府の要人を見て、あれが中国人の典型だ、と思い込むのも危険である。彼らは、むかしの中国社会で言えば、エリート士大夫階級なのだ。

中国に関しては何の予備知識もなかったのですが、それなりに面白かったです。これから孔子なり論語なりを学ぼうと思ってたので中国の歴史や思想に触れられたことはよい予備学習になりました。

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(2006/12/16(土) 11:59)

 砂の女
砂の女砂の女
安部 公房


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不条理な世界を描く安部公房の名作。

砂漠で暮らすある部落集団にはめられてしまう不運な主人公。その主人公はそこで半ば強制的に砂掻きに従事させられることになる。そこでは砂は永久的に降り注いでくる。ようは砂掻きに終りはないのだ。はじめのうちは逃げ出すことを必死に考えていた主人公であったが、そのうちに脱出する気力さえ失っていく・・・という奇妙な物語。

救いようがない部落の現状。そこで砂掻きに勤しむ住人。半拉致的に砂掻きの人員を確保しようとする部落の組織体制―。僕が感じたのは、安部公房の悲観的な社会に対する見識だ。

安部公房に限らず作家という職業は、実社会とは少し離れた場所から俯瞰的に社会を見ることが出来る職業だ。つまり、作家は当事者としてではなく第三者として社会と関わっている。そのせいか、そういった作家が書く作品の多くは、社会に当事者として関わっている僕らに毒のように作用することが多い気がする。

今まで読書を通じて色んなことを学んできたけど、今振り返ればその中には知らない方が良かったことも多々ある・・・。

すべては想像力の問題なのだ」と村上春樹は言う。良い意味でも悪い意味でも、確かにその通りだな。今まで自分は「想像力」の良い面ばっかりに気を取られていたんだなぁと思った。厄介なのは想像というのは本人の意思とは別のところで身勝手に膨らんでいってしまうところだ。

昔のように純粋に世の中を見ることが出来なくなってしまったのは、読書の毒の部分のせいだと今頃気がつく。(だけど最近は毒がない本は退屈に感じてしまうからまた変な話だ。)そんなこんなで、カフカの言葉が身にしみる今日この頃です。

「必要な本とは、ぼくらをこのうえなく苦しめ痛めつける不幸のように、自分よりも愛していた人の死のように、すべての人から引き離されて森の中に追放されたときのように、自殺のように、ぼくらに作用する本のことだ。本とは、ぼくらの内の氷結した海を砕く斧でなければならない。」

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(2006/12/12(火) 01:11)

 ハドソン川夕日

ブログを書き始めてかれこれ2年がたった。

それを記念して?ブログのデザインを少し変えてみた。最近は、RSSリーダーで読んでる人が多いみたいだから、デザインなんてそんなに関係ないのかもしれないけどさ。

そうそう、11月の頭に1週間ほどニューヨークへ行ってきました。
下はそのときにハドソン川で撮った夕日の写真です。

ハドソン川夕日
FX7

あっちへ行って印象的だったのは、文化の多様性とその密度。ちょっと歩いただけで、ウォール街、SOHO、チャイナタウン、グリニッジ、チェルシー、5番街、セントラルパーク・・・etc、と全く異質の街並みに出会える。日本だったらありえないよ。

よく「グローバリズムは文化の均質化を進める」なんてこと言われるけど、そんなことないと思うんだよな。NYを見てみると。

その他にもいろいろ見て思ったことや考えたことはあったけど、なんせ一番ビックリしたのはあっちで高校の友達に会ったこと!ホントびっくり!まさか友達に会うとは思いもしませんでしたw

NYはいい思い出になりました。また行きたいなぁ。マジで。
でも、その前にヨーロッパだな。

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(2006/12/10(日) 07:21)

 外国為替のしくみ
<入門の金融>外国為替のしくみ<入門の金融>外国為替のしくみ
小口 幸伸


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まさに外国為替の教科書。ここまで堅実に外国為替について基本的なとこから解説してくれる本は他にないんじゃないでしょうか。

目次は以下の通りになってます。

1章 外国為替とはどういうものか―外国為替の全体像を理解する
2章 外国為替市場のしくみ―外為取引はどこで、どのように行なわれるのか
3章 外国為替相場はこうして決まる―需要と供給でレートが決まる
4章 リスクとリスクヘッジのしくみ―リスクを把握し、適切なヘッジで損失を防ぐ
5章 ディーリングの手法―「安く買って、高く売る」ことの実践法とは
6章 市場介入とはどういうものか―中央銀行が市場で行なう為替取引
7章 代表的な通貨の特徴―通貨の動きには、それぞれ特徴がある
8章 通貨オプション取引のしくみ―買う権利、売る権利も売買される
9章 レートの動きの読み方と情報の利用法―レートが動く基本的しくみを理解

その中でも4章にある「ミスマッチポジションとリスク」という話が面白かったです。以下、その要約。

通貨、金額、機関のうちひとつでも異なったポジションがあるときは、ミスマッチポジションであるといい、レートリスクが発生する。ミスマッチポジションを故意に作って利益を狙う場合もあるし、やむを得ずミスマッチポジションができてしまう場合もある。

やむを得ずミスマッチポジションができてしまうできてしまう例としては、発展途上国が国際金融市場で資金調達をする場合が挙げられる。一般的に、途上国は資金不足のため、国内のインフラ整備などに必要な資金を海外からも調達する。

資金調達の方法はいくつかあるが、たとえば国際金融市場で債権を発行して資金調達する場合、債権の発行はドル・ユーロ・縁・ポンド・スイスフランなどの主要通貨に限られる。すると、資産と負債では通貨が異なってしまい、返済時には為替レートのリスクを負わざるを得なくなる。

1998年のアジア通貨危機の際、アジア諸国は短期のドル資金を借り入れ、国内の長期プロジェクトの資金に充てていた。つまり、通貨と期間のミスマッチポジションを多額に抱えていたわけ。ところが貿易収支の悪化などで信用不安が出てくると、短期資金は一切に国外に流出した。長期プロジェクトは資金不足になり、株式市場は暴落。現地通貨が売られ、通貨の切り下げ→外貨借入額の実質的増加、の悪循環に陥り、通貨危機に見舞われた。

こういった話を知ると、途上国や高金利通貨への投資が怖くなってきますね・・・。南アフリカのランドなんて長期で見れば全く信用なさそうだし。だいたい2010年の南ア開催のW杯って無事に開幕出来るんでしょうか??いちサッカーファンとしても気になるとこです。

(南アでワールドカップってリアルにヤバイ気がする。人口の20%がエイズ、世界有数の犯罪発生地、交通機関未整備、現時点でスタジアム未完成・・・。こんなところに世界中のサポーターが集まったらとんでもないことが起こりそう。無事、みんなが生きて帰ってこれるか心配になってしまいます。)

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(2006/12/09(土) 08:01)

 人工市場で学ぶマーケットメカニズム
人工市場で学ぶマーケットメカニズム―U‐Mart経済学編人工市場で学ぶマーケットメカニズム―U‐Mart経済学編
塩沢 由典 松井 啓之 谷口 和久


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人工先物市場のシュミレータU-martの使い方や実験方法といったU-martの取り扱い説明書的な部分と、経済学における人工市場という分析ツールの位置づけについて書かれた一冊。

僕がこの本を読んだのは1ヶ月くらい前になりますが、タイムリーに池田信夫先生がブログで「憂鬱な科学」というエントリーの中に次のようなことを書いている。経済学の行き詰まりを指摘し今後の方向性を示唆している、という点で本書と同じようなことを論じていたので抜粋してみる。

憂鬱になるのは、カーライルから160年たっても、同じような「経済学批判」が繰り返されていることだ。もちろん今では奴隷制を擁護する人はいないが、市場よりも国家の力を信じる人は多い。そういう人々がいうのは、「経済学は非現実的で、役に立たない」ということだ。たしかに経済学は、実証科学といえるかどうか疑わしい。たとえば新古典派経済学のコアである一般均衡理論の主要な結論(均衡の存在や一意性など)は完全競争や完全情報などの強い条件に依存しているが、そんな状況はどこにも存在しないから、自然科学の基準でいえば、新古典派理論は棄却されてしまうのである。

(中略)

経済学は、実証的なチェックを欠いたまま数学的な(見かけ上の)厳密性を高めてきた結果、現実との距離が広がりすぎて、市場以外の複雑な問題について何もいえないからだ。

このように経済学は、いまだにdismal scienceの域を脱することができない。それが世の中に認知してもらうために必要なのは、数学的なお話のテクニックを競うことではなく、複雑な現象を合理的に説明する実証的な分析用具を開発することだろう。
(池田信夫blog『憂鬱な科学』から部分的に抜粋)

まさしく人工市場の試みは池田氏が言う「複雑な現象を合理的に説明する実証的な分析用具を開発すること」を目指していると思う。(もちろんまだまだ道半ではあるけれど)

では、そもそもなぜ経済学や社会学を実証することが難しいのか?それは、経済や社会を構成する要素が人間であるからだと思う。人間(の行動や意思)というものは多様であり一義的に定義出来るものではないし、しかも厄介なことに個人の意思決定は他人に影響を与える。さらにその影響は無限にループし続ける。

池田氏の主張と少し重なるところもあるが、↑のことについて本書では次のようなことが書かれている。

「経済における行動の多様さやその可変性を議論に取り込むことはこれまであまり議論されてこなかった。事実が観察されなかったからではない。そのような観察は多種多様にあるが、それを理論に組み込む道筋がないかぎり、理論はその事態を無視せざるをえない。しかし、多様さこそが市場を成立させる基盤であることを考えると、これは経済学にとっては重大な問題である。」

U-martをはじめとする人工市場は上記に書いたような「人間が変数に組み込まれることによって生じる複雑さ」に対応するシステムである。それは、こういった人工市場が多主体モデルを採用しているからだ。さらに人工市場で用いられるエージェントには、自己の意思決定に他者の意思決定を参照するといった相互依存関係を組み入れることも出来る。いわば多様性というものを無視するのではなく、それを受け入れているシステムなのだ。このことが、新古典派経済学の行き詰まりを打破し突破口を開くきっかけになる、と著者は言う。

人間は単独で存在しているのではなく、互いに影響を及ぼしあっている―。
人間は多様な生き物だ―。

こんな当たり前のことを無視していては、従来の経済学や金融工学が行き詰ってしまっても当然だと思う。この辺の話は以前読んだ経済物理学の話ともシンクロするので、大変興味深かった。

これ以上書くと、とんでもない長さになってしまいそうなのでこの辺で止めとく。この分野の話はとても面白いのでちょくちょくフォローしていこう。

(それにしても池田氏の卓越した知見は素晴らしいものがある。こういった素晴らしいblogは無料で読めるくせに、普段受けてる大学の講義よりも面白いし勉強になる・・・ort。)


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(2006/12/03(日) 05:15)

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