ハイエクの思想 その2

4480090215増補 ケインズとハイエク―“自由”の変容
間宮 陽介
筑摩書房 2006-11

by G-Tools

ハイエク降臨。

昨日の「ひらめき脳」の話じゃないけどハイエクを知って世界を観る目が変わったような気がする。もはや、ハイエクなしで色んなことを語れないというくらいハイエクは僕に影響を及ぼした。というのも、ハイエクの思想に、Web2.0やオープンソースや集合知や人工市場といった現代を席巻する最先端の概念が垣間見えるからだ。

今回はハイエクの主張で気になったところを色んなHPからパクってまとめてみたいと思う。

ハイエクの「個人主義」と、スロウィッキーの「群集の叡智」


「……われわれが利用しなければならない諸事情についての知識は、集中された、あるいは統合された形態においてはけっして存在せず、ただ、すべての別々の個人が所有する不完全でしばしば互いに矛盾する知識の、分散された諸断片としてだけ存在する……」(Hayek, p.53)

「関連のある諸事実の知識が多くの人々のあいだに分散しているシステムにおいては、……根本的には価格がさまざまの人々の別々の行動を調整する役割を果たすことができる。……全体がひとつの市場として働くのであるが、それは市場の成員たちの誰かが全分野を見渡すからではなくて、市場の成員たちの局限された個々の視野が、数多くの媒介を通して、関係ある情報がすべての人に伝達されるのに十分なだけ重なりあっているからである」(Hayek, pp.66-67)

ハイエクの市場社会観」から抜粋

20世紀のもっとも重要な議論のひとつはハイエクの価格システムの概念を巡るものだ。すなわちハイエクは、いかなる「価格」も情報と多くの人々の嗜好を捉えたものであり、その精度は最善の識者たちによる判定をも凌ぐと主張した。よって価格はどのような中央計画者よりもはるかに優れた働きをする。

法学者サンスティーンのBlog記事「情報の集約:ハイエク、Blog、さらにその先へ 」から抜粋

以上のようにハイエクは、いかなる組織であっても全体につての知識を統合した状態で保持していることはなく、そういった知識は分散していて各個人が持っているということを説く。これがハイエクのいう「個人主義」の原点になっている。ここで着目したいのが「いかなる個人も社会全体をみとおす能力はない」というハイエクの認識である。この観点で言えば、ハイエクの主張はスロウィッキー著『The Wisdom of Crowds』の「群集の叡智は、どんなに優秀な能力と専門的な知識と多くの情報を持った個人よりも真実に近い答えを出すことが多い。」という主張と重なる。

設計主義への批判と、自生的秩序

以上のようなハイエクの個人主義の考えは、「全体を統治する知識を誰しもが持ち得ない」という視点を持つため、ケインズの設計主義的なところを否定する。そして、それが自然進化を可能とする自生的秩序への信頼へとつながる。(少し論点がずれるが、僕はこういった考えは、経済に関してだけではなく、教育制度なんかにも適用できると思う。それに関しては池田信夫氏の以下の意見が参考になる。)

ハイエクは、個人が効用を最大化するという新古典派経済学の功利主義を斥け、「パレート最適」のような福祉最大化を政策目標とすることも否定した。彼が法秩序の原則として掲げたのは、「任意のメンバーがその目的を達成するチャンスをできるかぎり高めること」である(cf. Gray)。その結果として所得が最大化されることは望ましいが、それは副産物にすぎない。これは効用を最大化する自由度(オプション価値)を最大化する「メタ功利主義」ともいうべきものだ。

池田信夫Blogの記事「自生的秩序」から抜粋

上は経済の話だがこれを教育制度の話に置き換えてみても、大切なこと=「任意のメンバーがその目的を達成するチャンスをできるかぎり高めること」は変わらないはずだ。つまり、全体にとって最適な教育がどうであるか、といった問題は大した問題ではない(そもそも、全体にとって最適な教育がどういったものかを知る個人は存在しない)。各個人がその目的(この場合、最適な教育をうけること)を達成できる機会を得られること=「個人の自由」に重点を置く必要がある。こういった考えがハイエクの自由主義につながる。

各個人に分散した知識を集積する仕組み=市場の価格システムとWikipedia

これまで、各個人に広く分散した知識というものは、各個人が常に自己にしか関心を払わなくても、市場の価格システムを通じて全体に伝達されるものであった。しかし、ウェブの発達は、、ハイエクの言う価格システムをWikipediaについても言えるようにしたという。詳しくはウィキペディア設立者の言葉を参照にされたい。
「(...) ハイエクを理解せずにWikipediaを理解することも不可能ではないかもしれない。Wikipediaに対するわたし自身の理解が間違っているかも知れないから。しかしハイエクを理解せずに、Wikipediaに対するわたしの考えを理解することは不可能だ。」

ウィキペディア設立者Jimmy "Jimbo" Wales

Wkipediaについては、(その管理体制や記事の質などについては賛否両論あるようだけれど)記事となるある事柄については、それに従事する個人が最も正確な情報を持っているというのは確固たる事実であり、そういった意味において辞書というのはオープンな仕組みの中でボトムアップで組み立てるのに向いている代物だと思う。(Wikipediaにおけるあとの諸問題は、中立性を保ちつつ質の高い記事を書かせるためのインセンティブをどう賄うかだろう。)

むすび

この本の著者によると、東欧民主化以降、ケインジアン達の政策の失墜が露わになり、「ケインズからハイエク」へという流れが生まれているということ。今後、ハイエクの思想は、経済や政治の枠組みを超えて、様々な分野に影響を与えるんだと思う。

まだハイエクの十分の一も理解していないだろうし、自分が理解していると思っているところでも誤解している点が多そう。けれど、ハイエクの思想に触れることはとても良い刺激になった。

結局のところ、僕たちは全体に関して「何も知らない」ということを知らなければならない。ケインズが不憫にも「それでは嵐の最中に会って、経済学にいえることが、ただ、嵐が過ぎれば波はまた静まるであろう、ということだけならば、彼らの仕事は他愛もなく無用である」と言ったことは真なんだと思う。ハイエクが言うように、僕らに出来ることと言えば「各個人が各様に精一杯頑張ること」しかないのだろうだから、それが可能な自由な世の中になって欲しいと思う。もちろん日本に限らずね。

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