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OECDが実施したPISA(学習到達度調査)の結果でフィンランドが脅威の成績を収めている。また、この北欧の小国は国際競争力でも米国をおさえトップに立っている。
競争や比較といったものを教育の場から排除し、平等を第一に掲げるフィンランドの教育観に関心があったので読んでみた。
教育や学習、知識といったものについて深く考えさせられた一冊になった。
「自ら学習するかしないか」
ここにフィンランドの子どもと日本の子どもの決定的な違いがある。奇しくも、その違いを生んだのは大人たちであった。
戦後、高度経済成長に日本の文部省がとった教育は、教科主義と呼ばれる性格のもので、それは、唯一最高の知識に到達できるように知識を構造化し、系統的に組み立て、その順序にしたがって教師が生徒に知識を教えていくというものである。ここから教育とは、教師が教科書を順々に教え、指示された通りに生徒は知識を覚え技能を見につけることだという教育観が生まれた。
その一方でフィンランドの教育は、「社会構成主義的な学習概念」に基づいている。構成主義とは、知識には何らかの目的・価値観が前提になっていると認める立場であり、そこでは知識は中立なものではなく、ただ1つというわけでもなく、しかも、社会的な脈略の中で作られるものとされている。そのためフィンランドでは、知識というものは、自ら学ぶ者が、探求して、自分なりに作り上げていくものであるという考えが浸透している。日本の教育のように中央集権化された押し付けのようなものはない。
「正解は1つ」という日本の押しつけ教育は、目の前にいる子どもだちを無視しても、全国的に一律の教育内容が決定できるため、経験の浅い教師でも効率よく計画的に子どもに教え込むことを可能にした。こういった教育観は、日本人の勤勉性を形成してきた重要な要因であったため、一概に否定するものではない。しかし、PISAの調査結果からも分かるように知育偏重の風潮は、今日になって大きな弊害を生むきっかけになったのも事実である。
そんな今の日本の教育に求められているのは知識を教え込むことではなくて、自ら学ぶ子どもたちを育成すること。そのためには何が必要なのか?詳しくは本書を参照して欲しい。フィンランドという小国から私たちが学ばなければならないことはあまりにも多い。
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