アダム・スミス - 『道徳感情論』
![]() | アダム・スミス―「道徳感情論」と「国富論」の世界 (中公新書 1936) 堂目 卓生 中央公論新社 2008-03 |
アダム・スミスの「道徳感情論」と「国富論」を学ぶ。2回に分けてそのエッセンスを抽出したい。1回目は「道徳感情論」について。「道徳感情論」はスミスがグラスゴー大学で道徳哲学の授業を行っていた時期1759年に初版が出版された。主な目的は、社会秩序を導く人間本性は何かを明らかにすることである。
胸中の公平な観察者」
人間がどんなに利己的なものと想定されうるにしても、明らかに人間の本性の中には、何か別の原理があり、それによって、人間は他人の運不運に関心をもち、他人の幸福を自分にとって必要なものだと感じるのである。(『道徳感情論』一部一編一章)スミスは、人間は他人の感情や行為に関心をもち、それに同感する能力をもつという仮説から出発する。同感を通じて各人は胸中に公平な観察者を形成し、自分の感情や行為が胸中の公平な観察者から賞賛されるもの、少なくとも非難されないものになるよう努力する。しかしながら、人間の中には、胸中の公平な観察者の声にしたがおうとする「賢明さ」と、それを無視しようとする「弱さ」が同居している。
富と幸福の関係

スミスの考えている富と幸福の関係は右の図折れ線ABCDで表される。(図の横軸は富の量、縦軸は幸福の量を表す。)
一方、「弱い人」が予想する富と幸福の関係は折れ線ABCEによって表される。「弱い人」は、最低水準の富をもっていても、より多くの富を獲得して、より幸福な人生をおくろうと考えるが、そのような野心は幻想でしかなく個人の幸福の程度は富の増加の後と前で、ほとんど変わらない。つまり、社会において最低水準の生活が営めるような富があれば、富を得ることでそれ以上に幸福が増していくことはないということである。しかし、経済を発展させるのは人の「弱さ」であるもの事実である。「弱い人」の野心によって、経済は発展し、貧困は減少し、社会は繁栄するのである。
人間の「賢明さ」と「弱さ」
人間社会の秩序と繁栄という大目的に対して、「賢明さ」と「弱さ」は、それぞれ異なった役割を与えられている。すなわち、「賢明さ」には社会の秩序をもたらす役割が、「弱さ」には社会の反映をもたらす役割が与えられている。特に「弱さ」は一見すると悪徳なのであるが、そのような「弱さ」も「見えざる手」に導かれて繁栄という目的の実現に貢献するのである。