99・9%は仮説

99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方
竹内 薫


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本屋さんで、衝動買いしてしまった本です。内容はそこそこ面白かったですが、主張していることは、養老さんの『バカの壁』とほとんど同じで目新しいものは全くありませんでした。

本の主張は、「先入観や固定観念にしばられずに、ときに疑いながら、知的かつ柔軟に対応することが大事である」と一貫しています。その主張を軸に、いかに今の私達が固定観念に支配されているかを示して、その後に、どうやったら知的かつ柔軟な思考を持てるようになるかを本書では書いています。

興味深かったのはちょっと前にアメリカで物議をかもしていたインテリジェント・デザイン説(知的設計説)の話です。これは、「生命の誕生および人の誕生は、ダーウィンが唱えた進化論なんてものでは説明できるものではなく、宇宙のどこかに存在する知的な設計者によって意図的に設計されたものである」という説です。

私達からしてみれば、「そんな知的な設計者なんているわけないじゃん!」って感じですが、アメリカでは本気で議論されているほど大問題になっている話でして、実際にアメリカの若者には進化論を信じる人が37%しかいないそうです。

以下はその知的設計説について、筑波大学名誉教授の村上和雄氏のコラムを抜粋してものです。(参照

細胞の誕生や、その後の生物の進化が、単なる偶然だけで出来上がったとは到底考えられなかった。そこには、サムシング・グレートとしか呼べない、人知を超えた不思議な働きがあると思った。

                (中略)

ヒトのゲノム(全遺伝子情報)は、わずか四つの塩基で構成され、この塩基のペアが約三十億個連なっている。塩基の配列が偶然のものとするなら、私たち一人一人は、四の三十億乗分の一という奇跡的な確率で生まれてきたことになる。

そのようなことは、今の科学の常識ではあり得ない。細胞一個、偶然にできる確率は、一億円の宝くじを百万回連続して当選したのと同じようなものである。

上のコラムを読んでいると「不思議な働きがあると思った」とか「常識ではありえない」とか、それでも名誉教授か?と思ってしまったし、もう単なる宗教論にしか感じられないのは私だけでしょうか。それとも私がダーウィンの進化論という固定観念に縛られているだけなのだろうか・・・。

ただ言えることは、「宇宙のどこにも知的な設計者(神?)がいない」ということを証明することは永遠に出来ないということ。となると、ダーウィンの進化論がいかにその説を正しいとする証拠を揃えても、知的設計論者を論破することは出来ないってことになるな。

なにはともあれ、そういった意味でも世の中の99・9%は仮説で出来ているんでしょうね。

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高橋です。
人間は複雑だから設計者がいるのだという議論は、ではその複雑な人間を設計した設計者もさらに複雑なのでやはり設計されていなければならないという袋小路に突き当たってしまうと思います。設計者が自然発生的に存在したと考えるなら、それよりも単純なはずの人間の自然発生を否定できないと思います。
文型的考え方ですが。

またアメリカで進化論が信じられていない理由は科学的根拠の薄さよりも宗教上の理由によるものであると思っています。
もちろん進化論が非の打ち所が無い説だとは思いませんが(笑)
現時点での人間が選択するに十分な仮説だと思っています。

>高橋さん

>袋小路に突き当たってしまう

>それよりも単純なはずの人間の自然発生を否定できないと

確かに言われてみればそうですねw
こんな単純なことに気がつきませんでした。そうなってくるとホントにただの宗教論でしかなさそうですね・・・。
ってなってくると、なぜ、あんなにアメリカで物議をかもしたのかが知りたくなってきましたw

科学と宗教

最近でも、公立学校で進化論を教えるべきではないという裁判がアメリカで行われていました。

近代科学の根本は、我思うゆえに我あり。つまり、我思う以外の場所を研究対象から外している。だから、外に宗教が存在できる。そして、科学の分野が広がっていくと、当然のように宗教との境界領域にも踏み込んでいかざるを得ない。

私などは仏教者ですから、輪廻転生を確信しております。肉体は滅びるけれど、魂は永遠であるというその立場からいうと、地球が生まれる前の魂はどうなっていたのかという問題につきあたります。
もちろん、その答えは仏教の中にあって、ブラウマンという魂の大きな塊として存在したのだろう。ということです。

私は、科学というのは真理にいたる一つの方法であって、必ずしも万能ではないと思っています。

だから、科学万能と思っていた人たちが、科学の深遠に触れたとき、その脆弱さを痛感し、宗教の魅力に触れた。そして、そういう心理的動機からオウムにはしった若者たちが現れた。それは軽薄であり短絡でしかない。

そんな感じです。科学も宗教もツールに過ぎない。いまを生きろ。自分を忘れるな。
そんな感じでしょうか。

> スポンタさん

>科学というのは真理にいたる一つの方法であって、必ずしも万能ではない

そうですね。現時点ではそう考えるのがベストなのかもしれないです。なにはともあれ、「真理に迫る」ということに興味は尽きないですねw
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