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1973年のピンボール

1973年のピンボール 1973年のピンボール
村上 春樹 (2004/11)
講談社
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青春三部作の第二編。(ちなみに第一編は『風の歌を聴け』)

この作品は何んだかフワフワしている感じがする。それは、この作品が何について書かれているのか、テーマが不明確だからだと思う。印象に残ったの主人公である「僕」がカントの『純粋理性批判』を読む場面だ。

カントに頼るまでもく、人が「問い」とそれに対する「答え」というものを認識できるのも多くの場合、前提となる知識だったり経験があるからだ。つまり、「問い」も「答え」も、もともと存在しているものではなく、人が作り出しているものだと考えることが出来る。その観点で言えば「問い」というものは永遠になくなるものではないし、「答え」を探すことが無駄な努力に思えてくる。そもそも「答え」なんてもともとないんじゃないのかとさえ思う。

村上春樹はこの小説の序盤にこんなことを書いている。

1973年9月、この小説はそこから始まる。それが入口だ。出口があればいいと思う。
もしなければ、文章を書く意味なんて何もない。

上に書いたとおり、答えなんてホントはないのかもしれない。けれど、答えがあればいいと思う。なぜなら、もしなければ、生きる意味なんて何もないんだろうからさ。

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      自分だけに与えられた、自分でしか歩めない道を歩んでいきたいと思う。
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