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ケインズとハイエク―“自由”の変容

4480090215増補 ケインズとハイエク―“自由”の変容
間宮 陽介
筑摩書房 2006-11

by G-Tools

世界はそこに「在る」のではなく「見える」のだ―。 (p38)

ケインズハイエク。二人の傑出した経済学者は、今日における経済学の相対立する陣営の二つの大立者とみなされている。一方のケインズは有効需要の原理を唱え、金融・財政などの政府活動により資本主義経済を管理する道を築いた。他方のハイエクは自由主義を強く掲げ、規制は自由を毀損するとして、ケインズの計画・管理を主眼とする経済学を批判した。

本書では、ケインズとハイエクの相違点と共通点を「自由」「市場」という2つの観点から比較評論している。「自由」と「市場」、その2つは切っても切り離せない関係にあるのだが、今回は「市場」に焦点を当ててケインズとハイエクの主張をまとめてみる。自由放任に終わりを告げ政府の経済介入を主張するケインズと、政府の経済への介入を拒み経済活動の自由を主張するハイエクの相違は、「市場の機能」に関する両者の見解の相違に起因しているからだ。

市場の行き過ぎを警戒し、経済の投機化に警鈴を鳴らすケインズ

ケインズは、『一般理論』の中で次のように表現している。「もし投機という言葉を市場の心理を予測する活動にあて、企業という言葉を資産の全存続期間にわたる予想収益を予測する活動に充てることば許されるなら、投機が企業以上に優位を占めるということは必ずしも事実ではない。しかし、投資市場の組織が改善されるにつれて、投機が優位を占める危険は事実上増大する。世界における最大の投機市場のひとつであるニューヨークにおいては、投機支配は巨大なものである。…投機化は、企業の着実な流れに浮かぶ泡沫としてならば、なんの害も与えないであろう。しかし企業が投機の渦巻きの奈賀の泡沫となると、事態は重大である。一国の資本発展が賭博場の活動の副産物となった場合には、仕事はうまくいきそうにない。」

市場を自然的秩序とみなし、経済の計画化は分散して存在する知識と情報を台無しにすると説くハイエク

計算や計画によって効率的な資源配分を達成することが可能か。資源配分のシグナルとしての擬似価格を計算によって産出することができるか否か。これに対するハイエクの答えは、きっぱりと「否」であった。「なぜならそれは人知をはるかに超えているからだ。計算を行う際に必要とされる知識や情報の量はほぼ無限で、しかもそれらは沢山の生産単位や消費者の間に広く分散しているからである。これらの知識・情報に精通しているのはまさに末端の経済単位である彼らのほうであって、それを計画者が一手に集めるのは不可能である。ところが市場経済では、分散した知識や情報が取引活動を通して価格に集約される。計画経済と市場経済の基本的な相違はここにある」とハイエクは考えたのである。
また、ハイエクの主張は個人主義論にももちろん反映している。ハイエクは「個人主義者の議論の真の基礎には、誰が最もよく知っているかは誰も知りえず、もしもそれを見出す方法があるとしたら、それは各人が各様のことをやってみることが許されている社会過程による以外にはないという認識がある」と言う。

経済は設計出来るのか?設計主義ケインズと市場主義ハイエクの見解。

「長期的に見ると、われわれはみな死んでしまう。嵐の最中に会って、経済学にいえることが、ただ、嵐が過ぎれば波はまた静まるであろう、ということだけならば、彼らの仕事は他愛もなく無用である」(ケインズ『貨幣改革論』)
「自由主義者や個人主義者の政策は本来的に長期の政策でなければならない。短期の結果に目の色を変え、このことを「長期的に見ると、われわれはみな死んでしまう」という論法で正当化しようとするのが昨今の風潮であるが、そうなれば必ず、典型的な状況について定められたルールの変わりに、そのときそのときの御都合にあわせて作られる規則に頼るはめに陥ってしまうだろう」(ハイエク『真の個人主義と偽りの個人主義』)


ケインズの「エリート主義、計画、設計」という現実・実践的な思想に対して、ハイエクの「個人主義、自由、自然秩序」というユートピアン・論理的な思想。二人は多くの点で真っ向から対立する。

その2へつづく・・・。

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