アダム・スミス - 『国富論』

4121019369アダム・スミス―「道徳感情論」と「国富論」の世界 (中公新書 1936)
堂目 卓生
中央公論新社 2008-03

2回目は『国富論』について気になった点をピックアップする。

見えざる手

たしかに個人は、一般に公共の利益を推進しようと意図してもいないし、どれほど推進しているかを知っているわけでもない。・・・個人はこの場合にも、他の多くの場合と同様に、見えざる手に導かれて、自分の意図の中にはまったくなかった目的を推進するのである。それが個人の意図にまったくなかったということは必ずしも社会にとって悪いことではない。自分自身の利益を追求することによって個人はしばしば、社会の利益を、実際にそれを促進しようと意図する場合よりも効果的に推進するのである。(『国富論』四編二章)
ここでいう「見えざる手」は、市場の価格調整メカニズムを意味する。スミスは、個人の利己心は、市場の価格調整メカニズムを通じて、公共の利益を促進すると考えた。

自然的自由の体系

優先と抑制の体系がすべて除去されれば、単純かつ明快な自然的自由の体系が自然に確立される。そこでは、正義の諸法を起こさないかぎり、すべての人が自分のやり方で利益を追求することができ、自分の労働と資本を使って、どの人、またはどの階層の人とも自由に競争することができる。主権者は、遂行しようとすれば必ず無数の迷妄に惑わされ、また、人間のどんな知恵や知識をもってしても適切に遂行できない義務から、すなわち個人の勤労を監督し、それを社会の利益に最も適った用途に向かわせるという義務から完全に開放される。(『国富論』四編九章)
どの産業を優遇し、どの産業を抑制することが社会全体にとって最も利益が大きいか、また、そのためには、どのような具体的な方策をとればよいのか。人間は、これらのことを正しく判断するための完全な知識をもつことはできない。
自由的体系が確立された社会では、労働と資本の使い方は、所有者個人にゆだねられる。個人は、それをどこに向けるべきかについて、政府よりも多くの注意を払い、最も有利な方法で用いるであろう。個人が正義の諸法を守って行動するかぎり、このような個人の行動は「見えざる手」に導かれて社会に最大の利益をもたらす。
政府が特定の産業を優遇したりすることは、経済的に非効率であるだけではなく社会秩序の点から見ても望ましくない。
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