池上彰の宗教がわかれば世界が見える

池上彰の宗教がわかれば世界が見える (文春新書)
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宗教はよく死ぬことのレッスン

よりよく死ぬとは、よりよく生きることでもある。死の予習をすることが、よりよく生きることにつながる。それが宗教を考える意味。よく生きることができれば、心穏やかに死を迎えられる。

仏教には世界の終わりも始まりもない

いわゆる一神教のユダヤ教やキリスト教のように、この世界をつくった神様という存在が仏教にはない。仏教には世界創造神話がなく、この世界がそもそも存在していることが前提。仏教は経験則や臨床事例から外れる領域を語ることには慎重で、全てを語らない。つまり、仏教は実践主義的な宗教。

仏教は、まず「生きるこということは、苦である」といった自覚から始まる。苦とは「思い通りにならない」の意。生きるということは、思い通りにならない。そこで、「思い」の方を整える。「思い(執着)」が強ければ強いほど、現実との差が大きくなり苦脳する。言葉や生活を整えるトレーニングをすることで、執着を小さくすれば、苦脳も小さくなる。究極的には執着をなくしてしまえば、苦脳はなくなる。とらわれないのが最終目標

イエスは精神科医

愛とは悲しみを知ることに限りなく近い。「最後の審判」を待ち望む人々の意識の背景には、現世が辛く厳しいという現実が存在する。救済の日をひたすら待つこと自体が至福であるという救済観がある。人々は、この思いで辛い人生を乗り切ってきた。

イエスが生きていた時代にキリスト教は成立していない。イエスは正当なユダヤ教徒であった。当時のパレスチナはローマ帝国の植民地として重税に苦しんでいた。イエスは故郷と家族の絆を断ち切って、村から村へ病者をたずね歩いた。神の下で人類がみな兄弟として相愛する「神の国」の実現を目指した。これがイエスの「神の国運動」。大きな特徴は、癒しの奇跡。病気や悪霊に取りつかれた人(=精神的に苦しんでいる人)をイエスは、みずから手を差し伸べて癒していった。ここにイエスのカリスマ性の原点があった。

イエスは、今で言えばすぐれた精神科医、冤罪に苦しむ人や弱者のため命をかけて闘う人権派の弁護士のような存在。そこにこそ宗教にとって本質的な癒しの役割が集中していた。

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      自分だけに与えられた、自分でしか歩めない道を歩んでいきたいと思う。
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