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名著『坂の上の雲』から学ぶリーダーシップ、組織論

坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)
坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)司馬 遼太郎

文藝春秋 1999-01
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お正月に司馬遼太郎の不朽の名作「坂の上の雲」を読んだ。個人的には秋山真之や児玉源太郎に憧れるが、東郷平八郎や大山巌のようなリーダーシップの能力を身につけたいと思った。

注目したのは司馬遼太郎の人物に対する見方と、組織運営に対する考え方。気になった点を抜粋してみる。

個人と国家の関係の変遷

立身出世主義というものが、この時代のすべての青年をうごかしている。個人の栄達が国家の利益に合致するという点で誰ひとり疑わなかった時代であり、この点では、日本の歴史のなかでめずらしい時代だったと言える。
明治維新によって誕生した近代国家は、憲法によって国民を兵士にし、そこからのがれる自由を認めず、戦場にあっては、いかなる無能な指揮官が無謀な命令をくだそうとも、服従以外になかった。もし命令に反すれば抗命罪という死刑を含む陸軍刑法が用意されていた。国家というものが、庶民に対してこれほど重くのしかかった歴史は、それ以前にない。が、明治の庶民にとってこのことがさほどの苦痛でなく、ときにその重圧が甘美でさえあったのは、明治国家は日本の庶民が国家というものにはじめて参加した集団的感動の時代であり、いわば国家そのものが強烈な宗教的対象であったからであった。日本軍兵士の感嘆すべき勇敢さの基調には、そういう歴史的精神と事情が波打っている。
時代を経ることに、個人主義の様相が強くなっている。それこそ明治時代は上記にあるとおり、「個人は国家のために」という気概で奮闘していた。昭和時代は、「個人は会社のために」。ひるがえって今は、「個人は自分のために」。これが、古い人から見ればいつの時代の若者も「今どきの若者は・・・」となる要因だと思う。

大事なのは平素の心掛け

戦術というものは、目的と方法をたて、実施を決心した以上、それについてためらってはならないということが古今東西のその道の鉄則のひとつであり、そのように鉄則とされていながら、戦場苛烈で複雑な状況下であっては、容易にそのことが守られない。真之はそれを工夫した。平素の心掛けにあると思った。「明晰な目的樹立、そして狂いのない実施方法、そこまでのことは頭脳が考える。しかしそれを水火のなかで実施するのは頭脳ではない。性格である。平素、そういう性格をつくらなければならない」と考えていた。
血が出るほど知恵を絞って考えた戦略戦術を実施する、そのときに大事なのは平素からの心掛けである。日々の一つ一つの行動の積み重ねが戦時に発揮される。

部下を信頼し認め任せ、責任を取るのが総帥

薩摩的将帥というのは、まず、自分の実務のいっさいを任せるすぐ優れた実務家をさがす。それについては、できるだけ自分の感情と利害をおさえて選択する。あとはその実務家のやりいいようにひろい場をつくってやり、なにもかも任せきってしまう。ただ場をつくる政略だけを担当し、もし実務家が失敗すればさっさと腹を切る覚悟をきめこむ。西郷隆盛も東郷平八郎もそういう薩摩風のやり方であった。
大山巌の従兄である西郷隆盛は、同時代の薩摩人から、「ウドサァ」という愛称を受けていた。大男もしくは巨人という意味である。薩摩にあっては総帥になるには「ウドサァ」にならねばならない。ウドサァになるための最大の資格は、もっとも有能な配下を抜擢してそれに仕事をやらせ、最後の責任だけは自分がとるということであった。
「敗けいくさになればわしが指揮をとります」といったのは日本の全野戦軍の総司令官である大山巌の言葉であり、かれの言葉は統帥というものの本質を指し示している。軍隊から集団恐怖や妄想や敗戦心理を取り去るのが、統帥であった。乃木希典もまたその点では不足のない統帥力を持っていた。
素晴らしいリーダーを排出した薩摩藩は、人の上にたつ人間とはどういった人物なのかを分かっていた。大山巌や東郷平八郎から学ぶことが多い。

優れた戦略はシンプルなものである

すぐれた戦略戦術というのはいわば算術程度のもので、素人が十分に理解できるような簡明さをもっている。逆にいえば玄人だけに理解できるような哲学時見た晦渋な戦略戦術はまれにしか存在しないし、まれに存在しえても、それは敗北側のそれでしかない。たとえていえば、太平洋戦争を指導した日本陸軍の首脳部の戦略戦術思想がそれであろう。戦術の基本である算術性をうしない、世界史上まれにみる哲学性と神秘性を多分にもたせたもので、多分というよりはむしろ、欠如している算術性の代用要素として哲学性を入れた。
「全軍、待機陣地につけ」という程度のものであった。この命令のおかしさは、いったい攻撃せよというのか防御せよというのか、そのあたりが明快ではない。ただ、位置につけという。そこに児玉のためらいが濃厚に出ていた。児玉はいったん攻勢へ気持ちを踏み切ったとはいえ、なお攻撃開始までに「遊び」の段階を設けようとしていることが、この命令によく現れていた。ゆらい命令があいまいであることは軍隊指揮において最大の禁物とされている。
戦略は誰もがすぐに理解できるものでなくてはならない。また、重要な命令もシンプルで分かりやすいものでなくてはならない。

総帥は動じない

東郷はこの戦争の全海戦を通じ、きわめて幸運な男とされていたが、かれの驚嘆すべきところは、不運に対して強靭な神経をもっているということであった。二戦艦をしなって、敗残の艦長たちが旅順口外からもどってきて三笠にそれを報告すべくたずねたとき、かれらはみな東郷の顔を見ることができず、みな声をあげて悲運に泣いた。このときも、東郷は平然としていた。「みな御苦労だった」と、それだけを言って、卓上の菓子皿を艦長たちのほうに押しやり、食べることをすすめた。

(おれがこのひとなら、このようにゆくだろうか)
と、東郷の頭脳を担当する真之はつくづく思った。東郷は頭脳ではなく、心でこの艦隊を統御しているようであった。頭脳を担当する真之がもし東郷の位置なら、あるいは劇こうするか、悲憤するか、強がりをいうか、どちらかであったかもしれない。
総帥は頭ではなく心で組織を統治する。組織の心の機微を考えるのが総帥である。

才物が気を付けるべきこと

自分のきらいな配下の参謀をたくみに策謀しては追い出す定評が藤井にはあり、同時に部下の功をも独占しようとするところがあるらしい。要するに参謀長としては得難い才物であるにしても、才物といわれる人物が一般にもっている徳の薄さというものが藤井には濃厚にあった。この対露戦争という、まるで綱渡りのように危険な戦いを遂行していく上で、この種の人物が上に立っているというのは一軍の統率上どうかと思われるということである。
参謀の要務というのは、円転滑脱として上と下との油にならなければならない。功名を断じて顕してはならない。
心臓の担当者である東郷と頭脳の担当者である真之の相違は、頭脳は心臓と異なり、あらゆる可能性を思案しつづけなければならぬためにその思案の振動運動が当然ながら大きくかつ激しい。
専門家の思考範囲が、いかに狭いかを、児玉は痛感していた。児玉はかつて参謀本部で、「諸君はきのうの専門家であるかもしれん。しかしあすの専門家ではない」とどなったことがある。専門知識というのは、ゆらい保守的なものであった。児玉はそのことをよく知っていた。
頭の良さと徳の良さは比例しない。むしろ逆相関の関係。頭の良い人ほど、徳を考えるべきである。

主体的に学ぶ

真之は、兵理について、「兵理というものはみずから会得すべきもので、筆舌をもって先人や先輩から教わるものではない」ということを、講義したことがある。あらゆる戦史を読んで研究せよ、読める限りの兵書を読むべきである、その上でみずから原理を抽象せよ、兵理というのは個々に研究して個々が会得するしか仕方がないのだ。
受動的な学習というのものはあり得ない。自ら進んで主体的に学び、知識を自分のものにすることが大切。

リーダーと従事者の関係

兵士というのは、ただ命令されるだけの可憐の集団だが、受け身の立場であるだけに自分たちを死地に連れてゆく指揮者がどの程度の質のものであるかを見抜く嗅覚は、ほとんど動物的本能のようにして持っている。しかも、かれらが常に望んでいるのは、よき戦闘者としての指揮官であった。その命令に従ってゆくだけでその前途に勝利があるという信仰をもちうる指揮者であり、そういう場合、戦闘がいかに惨烈の極所に立ち入っても、兵士たちは十分に堪えていく。逆の場合、その指揮官がいかに兵士たちに媚を売り、おだて、たくみな演説をしようとも、かれらは決して鼓舞されることなく、その指揮官への軽蔑を深めるだけのものであった。
従事者はリーダーの特性を見抜く。それだけリーダーは人格者・能力者でなければならない。

思想性や精神性は現実逃避に使われやすい

山県は伊藤と同じ現実主義者でも、伊藤に比べてみれば多分に「思想性」があった。思想性とは、おおげさなことばである。しかし物事を現実主義的に判断するにあたって、思想性があることは濃いフィルターをかけてみるようなものであり、現実というものの計量をあやまりやすい。ときに計量すら否定し、「たとえ現実はそうあってもこうあるべきだ」という側にかたむきやすい。
精神主義と規律主義は無能者にとっての絶好の隠れ蓑である。
こうなりたい、ああなりたいという理想や夢が、現実からかけはなれてはならない。

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      自分だけに与えられた、自分でしか歩めない道を歩んでいきたいと思う。
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