高杉晋作から学ぶ覚悟と行動の大切さ『世に棲む日日』(2)

4167663090世に棲む日日〈4〉 (文春文庫)
司馬 遼太郎
文藝春秋 2003-04-10

一人にしか見えない世界を信じ決行した功山寺挙兵

高杉晋作は狂ったのだ。と、誰しもが新作の脳髄の正常さを疑い、山県狂介以下奇兵隊の壮士のすべてが、晋作に対して冷淡であった。結果からいえば、「高杉晋作の挙兵」として維新史を大旋回させることになるこのクーデターも、伊藤俊輔をのぞくほか、かつての同志のすべてが賛同しなかった。かれの両眼だけが、未来の風景を見ていた。山県らの目でみる平凡な風景とはまるで違っていた。

晋作は生前の松陰より「生きている限り、大きな仕事が出来ると思うなら、いつまででも生きよ。死ぬほどの価値のある場面と思ったら、いつでも死ぬべし」と教えられていた。この教えが高杉に周囲の反対を押し切ってまで無謀な挙兵を決行させたと言われる。しかし、晋作がおもったことは悲痛だった。なぜならば行動とは伊藤俊輔がひきいる力士隊30人だけで挙兵することであり、30人で全藩と戦うことであった。

「政治風景というのはこう押せばこう変わるのだ」ということを示すのには、実物をもって示すほかなかった。天秤がわずかながら晋作へ傾く。傾けば、風景が一変する。一変すれば山県ら凡庸な頭脳群でも、ああそうか、と気づき、晋作に加担すべく殺到するだろう。晋作はそう見抜いていた。

維新の動乱・苦難に揉まれ、試練を潜り抜けるうちに成長した伊藤博文

功山寺挙兵の当初、賛同したのが伊藤俊輔だけだった。30名で挙兵したあとの計画は真っ白だった。どうせ死ぬのだ、と伊藤は思った。それならと立ち上がった。伊藤は、下関へかける中、俺はもう死んでいるのだ。死霊が駆けているのだ、と自分に言い聞かせた。この時期、死霊になった気で試練を潜った経験が、伊藤を単なる才子で生涯を終わらせなかった。維新の動乱は多くの死者を生んだが、多くの英傑をつくった。

明治維新は三代で成立した

分類すれば、初代は松陰のように思想家として登場し、自分の思想を結晶化しようとし、それに忠実であろうとするあまり、自分の人生そのものを喪ってしまう。初代は多くは刑死する。二代は晋作のような乱世の雄であろう。刑死することはないにしても、多くは乱刃のなかで闘争し、結局は非業に斃れなければならない。

三代目は、伊藤博文、山県有朋を代表する実務を重んじる役者だ。彼らは有能な処理家として通用する才能をもっており、革命を実務を心得て、結局は初代と二代目がやりちらかしあ仕事のかたちをつけ、あたらしい権力社会をつくり、多くが権力政治家になる。

覚悟がなければ勇士ではない

孟子は危険な思想書として禁書に近い処遇をうけてきた書物であったが、そのなかに、「志士は溝壑(こうがく)に在るを忘れず、勇士は其の元(かうべ)を喪うことを忘れず」という言葉がある。志ある人は、その実現のためには、溝や谷に落ちて屍をさらしても構わないと常に覚悟している、しかるに志士たる者は平素自分の運命の最期をわすれない。

勇士もそうである。勇気というものは人間の尋常な姿ではないため勇をふるうときはかならず相手方から強烈な反作用がおこり、それがために首を刎ねられてしまう。その最期をつねに想定して覚悟していない者は勇士ではない、という意味である。松陰はこのことを晋作に教えた。

覚悟と行動の大切さ

決意をし覚悟をもって物事に臨む。すると、どういう訳か迫力やオーラがつき、物事がうまく進む。行動をすることで周りを動かす。晋作から学んだことは、覚悟と行動の大切さだ。死をいとわず、挑戦する姿勢に涙。
おもしろき こともなき世を おもしろく
すみなすものは 心なりけり
晋作の辞世の句。一生忘れれられない言葉になりそう。

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    • 「無知による機会損失は計り知れない。」

      機会損失とは、仮にある行動を取っていたら生まれたであろう利益を享受できない損失のことを言う。

      自分だけに与えられた、自分でしか歩めない道を歩んでいきたいと思う。
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