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合理の徹底者、大村益次郎から学ぶバランスの大切さ『花神』

4101152179花神〈上〉 (新潮文庫)
司馬 遼太郎
新潮社 1976-09-01

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『世に棲む日日』の姉妹編

主人公の村田蔵六(大村益次郎)は、長州藩の軍政官として幕長戦争に勝利し、その後、新政府軍を統率し、近代兵制の創始者と言われ人物。本書は、吉田松陰・高杉晋作を描いた『世に棲む日日』とほぼ同時期の1969年から1971年に書かれた作品で、幕末維新史長州編として二つでセットになっている。

維新の成就に大きく貢献した人物

彼が果たした役割については、木戸孝允と大隈重信が次のように語っている。
「維新はペリー来航依頼、無数の有志の屍のうえに出てきたった。しかしながら、最後に出て来た一人の大村がもし出なかったとすえば、おそらく成就は難しかったにちがいない。」(木戸孝允)
「大村益次郎は、胆気豪勇、言行俊警、また開国進歩を持し、特に兵事においてもっとも精しく(くわしく)、かの西洋の法式を輸入し、わが国の兵制を改むる所あらんとし、当時の英雄豪傑としてそのたぐいまれなれし者」(大隈重信)

大村益次郎語録

気になった大村益次郎の発言をメモ。益次郎がいかに士官の能力を重要視していたかわかる。
勝つか負けるか、すべて司令(士官)の能力と精神にかかっている。

古来、勝利者は兵力の集中に成功したものであり、これとは逆に敗将たちの敗戦の共通理由は兵力の分散にあったということを、蔵六はよく知っていた。

百戦百勝したいと思います。それゆえ、前線の長官たちに対し、私のなすことにいっさいの不審を抱くべからず、と申しておいてください。

タクチーキ(戦術)のみを知ってストラテギー(戦略)を知らざるは、ついに国家をあやまつ。
気になった司馬遼太郎の言葉をメモ。
攘夷というものが、福沢のいうようなばかばかしいものではなく、攘夷が思想というよりエネルギーであればこそ、この時期以降激動期の歴史の上でのさまざまな魔法を生んでゆくのである。

一世をうごかすには、人気が必要であろう。が、同時に一世をうごかすには、まったくひとから黙殺されているという在り方も必要であるかもしれない。
攘夷が思想として良いか悪いかではなく、エネルギー源として大きな役割を持っていたという話はとても興味深い。維新の志士たちの中で、この点がどれほど認識されていたのであろうか。

合理の徹底について

考えさせられたのは蘭学者・医者として育った大村益次郎のポリシーである「合理の徹底」について。益次郎は、極力人の感情を排除し、結果を出すことだけに集中する。物事の本質にそぐわない意見などは、人の感情を逆なでることにつながっても即座に却下する。そんな彼のことを司馬遼太郎は「機械」と評する。

益次郎のポリシーによって、動乱の中でも本質を見失わず戦略を構築することができ、結果、幕長戦争および戊辰戦争を勝利する。一方で、薩摩志士の意見・感情をないがしろにする行動は反感を大きく買うことになり、これがのちの暗殺につながることになる。

合理の徹底、共感。どちらも重要であることを本書で学ぶことができる。

恐らく合理と共感の両方をバランスよく扱える人は、実社会という世界と、相手の頭/心の中という世界の2つの世界を、自分の中で理解できる人なのではないかと思う。

それと突き抜けた人はバランスは保てないので、組織においては片方のスペシャリストを、片方ずつ揃えるのが良さそう。維新の例でいうと、人望の西郷隆盛と、戦略の大村益次郎。
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