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生は事を行うために使うもの『峠』

峠 (上巻) (新潮文庫)
峠 (上巻) (新潮文庫)司馬 遼太郎

新潮社 2003-10
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悲壮美の行者である河井継之助について書かれた長編小説。藩主に忠誠を誓い、自分の信念を貫き行動し続けた点に美学を感じる。北越戦争の際に、窮地にたった会津藩が、戦場に長岡藩の旗を置き去りしにして官軍に謀略をはかった話が印象に残った。

知識を精神の中に溶かし切って行動のエネルギーにする

「おれは知識を掻きあつめてはおらん」せっせと読んで記憶してなんになる。知識がいくらあっても時勢を救済し、歴史をたちなおらせることはできない。「おれは意識という石ころを、心中の炎でもって溶かしているのだ」 継之助のすきな陽明主義にあっては、知識を精神のなかにとかしきって行動のエネルギーに転化するということになる。

天地万物は主観的存在である

朱子学にいわせると、星、月、山、川、人間など天地万物はきちんと客観的に存在する。いっさいが客観的存在である。しかし、継之助の陽明学はそう見ない。

天地万物は人間がそのように目で見、心に感応しているからそのように存在しているので、実際にはそんなものはない。つまり、天地万物は主観的存在である、という。「だから心をつねに曇らさずに保っておくと、物事がよく見える。学問とはなにか。心を澄ませ感応力を鋭敏にする道である」と継之助はよくいう。

継之助によれば、学問の道は気質の陶冶にあり、知識の収集にあるのではない。気質がつねに磨かれていれば心はつねに明鏡のごとく曇らず、物事がありありと見える。「つまりその明鏡の状態が、孟子の言う良知ということだ」しかし陽明学はさらにそれより一歩進めて良く知ることは知るだけでとどめず実行をともなわせる。はげしい行動主義が裏打ちになっている。

何者かに害を与える勇気がなければ事は成せない

物事をやろうとするとき、その出発点はできるだけ簡単明快でなければならない。複雑で欲深な発想や目的意識は結局、あぶ蜂とらずになる。また、何者かに害をあたえる勇気のない者に善事ができるはずがないと考える。変えようというのは薬物のごとく一面の毒をふくんでいる。

勇猛心も必要。水をかぶって火事場の炎のなかにとびこんでいゆく不退転の気魄。百才があってもこの一事に欠けていれば政治などはできるものではない。慶喜にみられるように教養と観念がありすぎるのも問題となる。

生は事を行うために使うもの

人間のいのちなんざ、使うときに使わなければ意味がない。生は事を行うための道具にすぎない。これが陽明学の基本思想。生は生そのもののためにあるのではない。

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    • 「無知による機会損失は計り知れない。」

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      自分だけに与えられた、自分でしか歩めない道を歩んでいきたいと思う。
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